ただの愚痴
親って自分の人生に惨めさを覚えている分、子供の人生に期待しがちだと思う。
母親は勝手に私に天才性を感じていて、期待してくる。
それが息苦しい。
自分は変わったタイプの人間なので、似たタイプの人自体があまりいないんだけど、
そういう人を見つけて、仲良くなれて嬉しい。というだけの話に
「でもそうやって共感だけしていても意味ないからね。起業するにも人脈が必要だしうんぬんかんぬん」
と起業も仕事もしていない母がまあおっしゃるおっしゃる。
「普通になってよ!友達作ってよ!あなたに友達がいないせいで、私が保護者会で孤立して辛いんだから!」とのたまっていたのは、どこのどいつ?
自分に都合の悪い話になると「どうせ私が悪いんでしょ!」とメソメソ泣き出し、
ヒステリーで片をつけてうやむやにしようとする。
涙を手段で使うなよ。
なんか、涙を手段で使っている人ほど言っても無駄感が強いのか、
「涙を手段で使うなよ」と言われずに
ガチで辛くて泣いてしまった人が「涙を手段で使うなよ」と暴論で抑え込まれて
傷ついてるイメージあるわ。
実際私も母親に「涙を手段で使うなよ」って言ってないし
退屈と積み上がっていく用事
感情の動かない仕事ばかりしていると、鬱っぽくなってくる時がある。
退屈のあまりネガティブになっているのだと思う。
しかし、特にやることもないので、急に習い事を始めてみたりする。
継続力がないので、何かができるようになるわけでもなく、ただただ面倒になる。
このループばかりが続いていくのですが、どうしたらいいの?
日常にひそむ冷たさ
セクハラじゃないけど、距離感ちょっと近くて、困ってるんだよね。
その時、相談したのに、「えー私は気にならないかもー」と言っていた。
後で、その距離感が近い人と私との関係悪化が問題になった。
「いや、そういうの表に出すのよくないですよ、水色さん。
別に、私に相談してくれればよかったのに。」その人は言った。
いやいや、言ったんだけどな。相談したじゃん。そんでアンタ、めんどいことには関わりたくないとばかりに逃げたじゃん。
問題になってからなぜ、その「めんどいことには関わりたくない」フィルター外れて
急に口出しできるんだろう。
どれだけ、私が悩んで悩んで我慢して、
それでもどうにもならなくて苦しんだと思ってるんだろう。
その人と話していると、人に対する感情があまりにも浅薄すぎて、磁場が狂ったみたいな気持ちになる。
全部、全部自分のことなのに人は意外と覚えていなかったりする。
本当は、状況に気付いていないということではない。
その時、確実に状況に気付いて、明らかに、あからさまに、避けているのに
そんなことなどなかったかのように語る。
この人、こういうことが多すぎる。
この人に限らず、今までこういうことって多かったので、
私も、覚えてないだけでこういうこと、やらかしてるんだろうか。
人間が心底嫌になる。
あまい
今週のお題「あまい」
自分を甘やかすとか甘やかさないとか、自分に甘いとか甘くないとか、最近流行りだな、と思う。思春期の頃、私は自分に厳しかった。周りからは甘いと見られていたかもしれない。
あの頃から何年も経って、成人もしてまた何年も経って、思い返してみても、私はやっぱり自分に厳しかったと思う。遅刻をしたり、人にダメといったことを自分もできなかったり、いざという時に妥協してしまったり、逃げてしまったり、自分の望みを貫き通せなかったり、人間関係において適切に気がつかえなかったり、色々な「自分に対して、甘いよね」という行動を繰り返していた。
しかしながら、その度おそらく誰よりも自分で自分を責めていた。他の人の内面は知り得ないので表面に上がったものだけになるが、他人から口や態度に出されたどの責めよりも、自分の自分への攻撃が一番苛烈だった。そんな自分を誰も彼も醜い気持ち悪いと思うだろうという、思春期特有の、やたら他人にも自分にも生理的嫌悪感を覚える症状も併発していた。
あまりに苛烈過ぎて、怖くて思い出せないほどの不安と絶望と混乱を抱えていた。そういう自分を抱きしめることはどんな形であってもできなかった。少しでも刺激すればブチュブチュと臭くて汚い液体がとめどもなくあふれてきそうな自分の精神を何とか内側だけに留めるために、当時の私は過食という行為をとった。自分で自分に正しく甘くできなかった私は、食べ物で擬似的な甘えを再現した。自分でさえも自分を受け止められない中、甘い甘いお菓子だけが自分を受け入れ慰めてくれるように感じた。お腹いっぱいで苦しくなりながらも、安心感にも似た満腹感を得たかった私は、当時の小遣いのほとんどを過食に費やした。中途半端に摂食障害の知識があったので嘔吐はしなかったが、健康な精神状態でとるような行動ではないことは明らかだった。
当然私はどんどん太っていき、当時の私は、その丸くなっていく体を醜いと思っていた。当時の母の、体型についての口出しが、私の苦痛に拍車をかけていた気もする。単に思ったことを言ったのと、青春期間なので素敵な体型で素敵な恋や友人関係を送ってほしい、という母のファンタジーの入り混じった思いやりもあったのだろうが、特に思春期の娘の体型には、あまり口を出さない方が無難なのかもしれない。
当時の苦しみで象徴的だったのが、生理の時だ。
生理の時、生理痛もひどく、むくみもひどく、食欲の亢進もひどかった。
やめなきゃやめなきゃと思いながら食べるのをやめられず、
ぶくぶくとむくんだ感覚のある体と、食べ過ぎでパンパンになった胃が、当時の私の心そのものだった。何か張り詰めていて、今にも張り裂けそうで、それを薄皮一枚で何とか抑えているつもりになっている、そんな感じだった。
トイレに行っては、生理の時の、甘く腐ったような、蒸れた血の匂いや色が女性の象徴のように感じられ、気持ち悪かった。自分が女性であることの全てが気持ち悪く、クラスの女子同士の訳のわからない人間関係も気持ち悪く、この間まで少年だった男子たちの遠慮のない性欲の発露も気持ち悪く、気持ちが悪い色々なことに自分も当てはまっていること、そしてそこに迎合しようとしていることも気持ち悪く、当時の世界を構成するもののほぼ全てを嫌っていた。ニュートラルに言えば保健の教科書に出てきそうな、思春期特有の第二次性徴期への戸惑い、悪く言えば完全なる厨二病、といった感じだった。
成人して、自分に甘いとか甘くないとかが流行り出した社会の雰囲気にうまくのっかれて、少し楽になった。ただ、甘いものを見ると今でも、当時の頼りなげで危なげで、生々しく厄介な、迸る少女性を思い出して、微笑ましいような居心地の悪いような、具合の悪い気持ちになる。